023.虚空に映る水辺

「わりぃ、。薬持ってねぇ?」
「どしたのさ」
「それが千石が酔ったみたいで」
「それはあたしよりもスッチーのお姉さんに言った方が早いよ。
 “あ、すいませーん! 連れが酔っちゃったみたいなんですけどー”」

 ぐったりとした千石を見て、は通路を歩いていた客室乗務員に尋ねる。突然英語を喋ったに、榎本はぎょっとしながら、が帰国子女だった事を思い出した。通りで発音が上手い訳だ。
 乗務員は笑顔で「少々お待ち下さい、直ぐにお持ち致します」と言い、奥に引っ込む。数秒後、水の入ったコップをカプセルの薬を持って出て来た。
 ありがとう、とお礼を言うと彼女は「いえ」と言った。「所で、酔ったお客様は…」と言葉を続ける。「あ、コレです。取りあえず、薬ブチ込んで後は寝かせたら大丈夫ですから」と言う。
 真っ青になっている千石に、彼女は「そうですか」と言い話しかける。「大丈夫ですか? お席を別の場所に移動する事も出来ますが」と。

「あ、ほんと大丈夫です。軽い酔いみたいなんで」

「うっわ、かっこつけてる! なんかカッコ悪!」
「見た目、真っ青だから分かりやすいな」
「そうそう。別にかっこつけなくていいのにね。所で、直樹は大丈夫なの?」
「あぁ、平気」

「お前等…俺がこんなんだから言いたい放題言いやがって……」
「いや、別に真人の体調が万全でもあたし達何時も言いたい放題言ってるよ。ねぇ?」
「当たり前だろう」
「だって、真人はからかいがいのある人だもん」「だって、千石はからかいがいのある奴だからな」

 ねーとお互いの手の平を合わせそうな勢いでと榎本はにっこりと笑いあう。兄妹のように微笑ましいその光景に、千石は鳥肌が立つのを感じた。もうこの二人には何も言うまいと心に決めた千石は、乗務員に渡された薬を大人しく飲んで、目を閉じた。
 目を閉じた千石を見て、はペロリと下を出した。

「弄り過ぎちゃったかな?」
「うーん…そうかもなー」
「日本に到着した時まで覚えていたら謝ろうかな。
 にしても、なんか早かったね」

「そうか? 何時も、こんな感じだから俺は別に思わないけど」
「ううん。早かったよ。まさか…あたしこんなに早くアメリカ行くとは思ってなかった」
「………そうだな。今度はゆっくりしたいな」

 は、遠くを見詰めながら言う。

「(ちょっと意味が違うんだけど、ま、いっか)」

 窓の向こう。海しか見えなくなったそのまた向こうの大陸を思い描いて、は息を吐いた。










 次の日。
 一軍専用寮のエントランスに立っていると、校門の前にバスが止まっているのが見えた。はそれを見ると、顔を輝かせた。ぞろぞろと歩いてくる集団が次第に大きくなっていく。
 その中の一角を見ると、は固まった。「(どうして、アイツが…)」と。
 児玉や三宅と楽しそうに談笑している女の子に視線がいってしまう。

「あれ…? 何時帰ってきてたんだよ」
「―――おはよ、トカちゃん。そうそう、昨日帰ってきたんだ」

「あれ、やんけ!」
「おはようちゃん、遠征お疲れさま」

「何、三宅。あたしが居ちゃ悪いって言うの? それと、おはよう寿也。一緒に行っていい?」
「うん、勿論」

ちゃんだぁ〜確か、昨日の夜に帰って来たんだよねぇ〜」
「……それが、何?」
「ちょい、。そんな言い方はあらへんと思うんやけど」

 文句を言う三宅をキッと睨み黙らせると、は女の子――大盛 カナエ――を正面から見た。カナエはくすりと笑い、グロスで艶めく口唇を曲げる。
 あぁ、やっぱり。とは思った。「アタシ今ねぇ、野球部のマネージャーやってるのぉ〜」と予想通りの言い方で、予想通りの言葉を言った。

「……………そう。アンタがあたしの後釜なんだ」
「江頭さんからお話を頂いた時はも〜ほんと、びっくりしちゃったぁ〜。でもぉ、トレーナーの勉強も出来るから、引き受けたのよぉ〜。それに、こうして佐藤くんとお近づきになれたしねぇ〜」

 カナエは女の子特有の高い声ではっきりと言った。そして、するりと寿也の腕に自分のそれを絡ませる。の中で、何かが固まるのを感じた。くるんときっちりアイロンでカールされた髪の毛から甘い香りが漂う。
 自分の中で何かが固まり、凍るのを感じながらはそれを聞いていた。自然と普通に耳に入ってくるその言葉に、胸が締め付けられる。何かが固まりながらも締め付けられる胸に、何故と思いながら出た言葉は、自分でも驚く程の『普通』だった。

「―――そう、」

「大盛さん、だから僕……」
「佐藤くん、こういうスキンシップ嫌いだった?」
「付き合っても無いのに、こういうのは」

「別に、いいんじゃないの? 二人とも、美人だし、お似合いだよ」
「え〜ほんとぉ、ちゃん?」
「えぇ。あたし、用事を思い出したから先に行くね。それじゃ」

 小走りで校舎に駆けて行くの背中を、多種多様な視線が飛ぶ。「ちゃん、」と言った寿也の声は、届かなかった。










「なぁ寿、さっきのなんだけど」
「茂野くん、ちゃんがどうしたの〜」
「……いや、別に。やっぱいいわ」

 が校舎の中に消えていったのを見ながら、吾郎は寿也の隣に立って言う。だが、カナエに遮られて吾郎は閉口した。「わり」と陽気な声色でそれを言うと、そそくさと眉村や薬師寺の所に歩いていく。

「さとうくん、そろそろ教室行かなきゃ、遅刻しちゃうよ〜」
「―――――…あ……うん。そうだね」

 寿也は、やんわりとカナエの腕を解くと、一人歩いていった。他のメンバーは既に教室に向かっていた。

 教室に入ると、やはり吾郎達は机に座っていた。近くの面々と話をしている。その内、寿也の姿に気付いた渡嘉敷が「遅いよ佐藤!」と言った。

「な〜さっとう! お前どうやってカナエちゃん落としたんや?」
「は?」
「いや、あんな場所でカナエちゃん、お前に腕絡めたやん。付き合ってんやろ?」
「だから、僕は大盛さんと付き合ってなんか」
「でもの言う通り、お前等に似合いやで? 悔しいけどな」

「三宅も、児玉もそんなんじゃないよ」
「てか付き合ってないでしょ」

 寿也があたふたとしていると、渡嘉敷がピシャっと言った。一階の自販機で買っ来たのだろう。紙パックのジュースをズズズと吸い上げながら。

「だって、お前顔が笑ってなかったじゃん」

 冷めた声で渡嘉敷は言う。そして、見つけると、お前ちょっとだけ固まったっしょ? と渡嘉敷は続けて言う。言われて見れば、と他の面々も思い出してみる。
 普段から、柔らかな物腰の寿也が、珍しくも表情を硬くさせたのが、カナエに腕を絡められた時だった。

「(渡嘉敷の野郎、よく分かってんじゃん)」
「(だって、あのオンナの一言で固まったし、それから雰囲気可笑しくなったし)」

 飲み干したパックを、後ろに置いてあるゴミ箱に投げ入れる。綺麗な弧を描いてそれはゴミ箱の中へ入ってった。その直後に教師が入って来たため、話はお開きとなった。

「―――――よく、見てるな」

 眉村がポツリと言ったのを、薬師寺は聞いていた。「は?」と何を言ったのかもう一度尋ねるように言うと、眉村は「なんでもない」と言った。結局薬師寺は彼が何を言ったのか分からなかった。
 事の原因である寿也は、ただ一人首を傾げているだけだった。「(…僕、何かした?)」と。彼自身の辛い体験が根本的な原因となる他人への優しさが、今後どうなるのか検討もつかなかったのだ。

「なぁ、眉村」
「なんだ」
「後、薬師寺」
「あ?」

「……昼休み、ちょっといいか?」

「―――――あぁ」
「いいぜ」

 吾郎は教師の話など聞かず、今回ばかりは珍しく横を向かずに、近くに座る眉村、薬師寺に訪ねる。吾郎の言いたい事がなんとなくピンと来た二人は(眉村は淡々と、薬師寺は面倒臭そうにだが)分かったと言った。

「そんじゃ、昼休み…そうだなぁー天気もいいし、屋上で」

あとがき

会話が弾んでどどどどうしよう状態です。あばばば。やっぱりわたしに彼等は必要ですね! やっときたよこのノリ! なんかもう、海堂ナインと友情でいちゃいちゃするだけの駄目駄目文章になりそう。まぁ、基本方針はあながち間違っちゃいませんが。

(20080515)