022.可能性は空前の灯火

 ホイッスルが鳴った。試合終了の合図だ。かつてのチームメイトは、格段に強くなっていた。お互いの力を出し切ったような、そんな試合だった。選手達がベンチに戻ってくる。
 井沢は「よくやった」と一言声をかける。だが、江頭は違った。

「日本では天下の海堂と言われていても、こんなものかお前達」
「ちょ、江頭ぶちょ」

 何を仰るんですか、とが言おうとした途端、江頭の冷たい視線が来た。

「たがが学生マネージャーの君が口出しできる事では無いのだがね。少し黙っていてくれないか」

 江頭のその一言に、はカチンと青筋を立てる。「これだから学生マネは…」を眉をしかめる江頭に、更に青筋を立てる。そう、この状況を漫画で表現するなら、額に軽く三個は怒りのマークがくっ付いている筈だ。
 眼鏡をクイッと上げた江頭は、冷めた視線でや選手達を見る。隙あらば言い返そうとしていたの肩が、大きく揺れた。

「………すみません、でした」
「分かればいいのだよ。分かれば」

 榎本や千石達の心配する視線を感じながら、は口を閉じる。

「これでは、予定が大幅に狂ってしまったじゃないか。我々は負ける為にわざわざ海を渡って来たわけでは無いのだよ。あぁ、本当に、大幅なタイムロスをしてしまった」
「お言葉ですが江頭部長、選手達のコンディションは何時も以上に好調でした。ですが、向こうのチームも、同じだったわけです」
「あぁ、それは見れば分かる。だが、我々海堂には負けはいけないのだよ。それくらい知っているだろう」

「みっともないな。大の大人が、負け惜しみですか」
「ジュニア!」

「ジュニア、カミュー?」
「そうだろう。俺達が勝ったから、こいつ等に八つ当たりですか。いい年した大人が、みっともないですね」
「君は」
「あぁ、自己紹介した方がいいですか? ギブソンです。ジョー・ギブソンジュニアと言われてますが」

 今の貴方にとって、俺の名前はどうでもいい事だろうと思いますがね。と嫌味を言う乱入者。それはジュニアだった。彼の後ろに、カミューも居る。小声でジュニアに何か言っているように見えるのは、彼女なりに彼を宥めているのか。
 予想外の人物の乱入に、気が削がれてしまったのか。江頭はフン! と鼻息を荒くして、出て行った。

「所で、俺達の方は解散になったのだがそちらはどうなんだ?」

 ジュニアがそう言うと、井沢が咳払いをして言った。「解散だ」と。

、少し付き合って欲しい事があるんだが、構わないか?」
「“大丈夫よ、アタシも居るから! 心配しないで!”」
「“あ…あぁ、うん。いいけど。着替えとか、片付けとかあるから待って貰うよ。それでもいい?”」
「OK」










 ジュニア、カミューの後をが歩く。

「“用事って、何?”」
「“なぁに、用事が無かったら呼び出しちゃいけないの?”」
「“そんなワケじゃ……っ!”」

 カミューはの頭に手を置いて、にっこり笑った。彼女より頭一個分小さいは、頬を膨らませた。そして「“子供扱いはやめてよー”」と言う。

「“えーだって、っていいサイズなんだもん”」
「“だからってもー”」
「“あははったら、可愛いー”」

「“カミュー、”」
「“あぁ、ごめんごめん。じゃぁ、アタシ行くわ。、また連絡するわ”」
「“え? ちょ、カミュー”」

 それじゃ、と手を振りながら駆け出すカミューに、は唖然となる。『それじゃあまた明日』のようなノリで彼女が行ってしまったせいだ。
 伸ばした手の行き先が無くなると「あー…でも、アイツらしいわ」と苦笑した。

「―――――なぁ、あの時の事、まだ引き摺ってんのか?」
「そんな簡単に消火出来るものじゃないよ、あれは……」

「なんで、まだ野球してんだ?」
「あたしに野球は必要不可欠なものなんだ。野球はもう、あたしの身体の一部だから、かな」

「プレイは、しないのか?」
「遊び程度だったら出来るけど」

 矢継ぎ早に質問を投げかけて来るジュニアに、は内心首を傾げながらその質問に答える。初っ端から、大胆なその質問に彼らしいと思いつつ、首を傾げれるくらいあった余裕が無くなっていくのを感じた。込み入った事を言われる度に、答える前の沈黙が長くなっていく。

、」
「………………うん。ジュニアが、言いたい事、なんとなくだけど…分かるよ」
「だろう、な」
「……逃げちゃ駄目だとは…思ってるんだ。でも、でも……いざとなると言えなかったり、足がすくんだりするの。ほんと、何時の間に弱くなっちゃったんだろうね、あたし。
 本当は、あたしだってプレイしたいの! でも、ふとした瞬間にあの時の映像が流れてくるの。次、また野球してると同じ事が起きるんじゃないかって、思っちゃうの。
 それを理由にして、ジュニアから逃げてるってのも分かってる。今まで避けてて、ごめん…」
「それでも、少しは考えてくれてたんだ、俺の事」
「今日、ジュニアや皆のプレイ見て、分かったんだ。
 あたし……もうあの頃みたいに、皆と…ジュニアと笑えなくなってる事に、気付いたの」

 目に涙を溜めたが、小さな声ではっきりと言う(泣きそうになりながらも、物事をはっきりと言うのが彼女なのだ)。

「でも、野球は続けるんだろう?」
「マネージャーとして。行く行くはトレーナーとして、関わっていきたいと思ってる」
「トラウマは、どうするんだ」
「今はまだ…あたしの中で整理出来ていないから何とも言えないけど、野球好きだから、きっと克服出来るって…ううん、する、って思ってる」

 ジュニアも続けるんでしょ、と言うに「当たり前だ」とジュニアは答えた。「だよね。ジュニアはメジャーに行くもんね」と言った。まるで愚問だったねと言うように。

「あー…やっぱり、思った通りだったか」
「え、なにが?」
「あの事があってから、お前俺を避けるようになっただろ? だから、お前との関係は終わりかな、って薄々勘付いてた」
「………ごめん」
「いや、気にすることじゃないさ」
「嫌いになったわけじゃないよ、あたし」
「何時かまた…振り向かせて見せるさ」

 そう言って、ジュニアは帰って行った。










 帰国準備の為、ホテルに戻ったに、カウンターの青年は小さな紙切れを渡した。誰からだろう、と首を傾げながらそれを見る。懐かしい筆跡が、そこにあった。
 数字の羅列がしてあるだけの小さな紙切れを見て、は苦笑した。

「言ったそばからアピールかよ」

 ズボンのポケットの中に、それをしまった。
 それは、彼の番号だった。「帰国したら連絡しろ」と言っている姿が、には容易に想像ができた。

、帰って来たのか」
「井沢監督、すみません試合の後なのに、抜け出しちゃって…あの、もしかして、あたしに何か用でもありましたか?」
「いや、私は特に無いのだが…江頭部長が、」
「江頭部長が、どうかされましたか?」

「……………いや、すまない。今いった事は忘れてくれ。所で…帰国の準備は、出来ているのか?」
「いいえ、これからする所なんですけど」
「そうか。止めてしまって、すまんな。なるべき早めに終わらせてくれないか」
「え、あぁ。はい。了解です」

 井沢は「それじゃ」と言って自室へと帰って行った。も「荷物を纏めないとなー」と独り言を呟いてから自室へと向かった(だが、部屋へ戻った途端睡魔が襲ってきてベッドに突っ伏してしまった)。

 同時刻。
 榎本はシャワールームから出て来た。千石はベッドに寝転んでテレビを付けている。

とあの男って、どういう関係なんだ?」
「俺にそんな事聞かれても」
「すげー親しそうだったじゃねぇか」
「大方、昔のチームメイトとかじゃねぇの? って、あんな奴と知り合いだったんだなー」
「あんな奴?」
「あれ、知らねぇの? 奴はメジャーリーガーのジョー・ギブソンの息子らしいぜ? まぁ、俺も今日知ったんだけどな。マリーちゃんナンパしてる時に聞いた」

「お前…また女ナンパしてたのか?」
「そういうお前は女に興味無さ過ぎだ。まさか、こっち系か?」
「一辺死ぬか?」
「いえすんません、俺が調子に乗りすぎました」

 その日、彼等の部屋で何かが起こった。次の日げっそりとした千石を見てが「真人…アンタそろそろ学習した方がいいんじゃないの」と言うのは別の話。

あとがき

試合、書くの面倒だったんで割愛しました。……え? 面倒がらずに書けって? だって寿也居ないんだもん。ぐすん。

(20080515)