019.心の青と真の赤

 はっはっは…。荒い呼吸が部屋の中に響く。の瞳から、一滴の涙が零れ落ちた。頭の中である言葉が木霊する。
 嫌だ、と。

「やめて………やめて、やめて、やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて…やめてぇえ!」

 今やは何処も見ていなかった。いや、もう何処も見れなかった。思い出したくも無い悪夢が、の頭の中を占領する。

 青い空。
 白い雲。
 空を羽ばたく鳥達。
 舞い上がる白球。

 今より幾分か幼い容姿の
 ホームに走りこんでいる。
 ベンチでは、チームメイト達が大きな口で何か仕切り無しに言っている。
 グローブにボールが入る瞬間。
 咄嗟に滑り込む

 振り下ろされたグローブ。
 不快な音。
 歪んだの表情。

 身体の奥で何かか壊れる音がした。

 気を失ったが、次に目を覚ましたのは白い天井を持つ病院のベッドの上だった。虚ろな瞳をベッドサイドに向けると、そこには心配顔をした家族と友人達。
 医師に宣告された言葉は、だけではなく周りの人間すら凍りつかせた。

 結局、このことはスポーツ上ありうる事故として処分された。誰かが故意に起こさせたとしたとしても、証拠が無かったのだ。不慮の事故としては可哀そうな女の子のレッテルを貼られた。
 日本人が、しかも女の子が、体格の差が有りすぎるアメリカ人と野球の試合なんかしたからだ。と相手チームの選手に言われた。

「あたしは…あたしは!
 ……………………………やきゅうが、したかったの…!」

 それだけなのに。それだけなのに。何故日本人の女の子だから、と言われなければならなかったのか。は、思わず硬く目を瞑った。閉じた瞼の奥にあるものは、その時の、地面に蹲った自分の姿だった。
 野球がしたかった。でも、出来なかった。それでも野球に関わりたかった。
 そんなに残された道は、マネージャーかトレーナーとして選手のサポートを行うこと。長くつらいリハビリも、堪えた。しかし、リハビリの次に待っていたものは、とてつもなく高い壁だった。快気祝いに、少しだけ上がらせてもらったマウンドで、は本気で投げられなかったのだ。
 怪我をしたのは、腰だった。しかし、投げられなかった。医者には、精神的なものだと判断された。

「此処まで……此処まで出来たのに…!」

 アメリカに行く事だけは、今更ながら足が竦んでしまうのだった。










 しかし時は待ってはくれない。
 出発の日の朝。は憂鬱な気分で目覚めた。誰の問いにも生返事で答える。榎本や千石が心配するも「大丈夫」と眉を寄せながら笑う。

、」
「なんですか、分かってますよ」
!」
「だから、分かってますってば」
「何が分かってるんだい、
「だから、「そればかり言ってるとちゅーすっぞ」」
「止めて下さいセクハラです」

 は心底嫌な表情で千石を見た。即答された千石は、少しばかし凹み気味だ。「ひどぉい、」と野太い声で可愛らしく言ってみるも、それは近くに座る榎本の手によって床に沈められた。

「気持ち悪い、黙れ」
「………どんまい」

「で、。お前どうしたんだ?こっち来てから凹んでないか?」
「どしたの直樹」
「ちょっとおかしいぞ、が」
「別に、なんでもないよ。久しぶりのアメリカでちょっと嬉しいだけ」
「なら何で凹んでるんだ?」
「いやー日本帰る時、友達になんにも言わないで帰っちゃったから。怒られると思うと、ね…」
「それはが悪いだろう。あ、そろそろ空港着くな」
「いっそのこと、向こうがこっちに来てくれたらいいのにね」
「今年は俺達が行く事になってるの。我慢だ」
「はーい」

 肩をすくませて返事をするに、榎本と千石は顔を合わせる。は「はぁ」と溜め息を吐いた。頬杖をついて窓から見上げた空は、の心とは、正反対の、空の色だった(それはもう、憎たらしいほど爽やかな空色だった)。
 空港に着いた一堂は、大きなスポーツバックを抱えてぞろぞろと歩き出す。は名簿を持って彼らがバスから降りるのを確認する。全員が降りたところで、江頭に「全員居ますよ(当たり前じゃん、乗る前に確認したし!)」と言った。江頭は「ああ」と言うと、空港内に入って行った。

「井沢監督、どうかされたんですか?」

 選手の後、つまり最後尾を歩く井沢を見つけ、は声をかけた。

か。何でもない。
 前で榎本と千石が待っているんじゃないのか」
「あ、そうですね。それじゃ、あたし先に行きますね」

 は軽く会釈すると、トタトタと小走りで何時ものように榎本と千石の真ん中に入って行った。何時でも誰とでも、は真ん中がデフォルトポジションのようだった。「どしたのさー二人とも」とが言うと、獲物とはごくごく自然な動作での荷物を取り上げて、千石に押し付けた。「おわっ」とちいさく声を漏らしながら、千石はその荷物を受け取った(文句を言わせない所が榎本らしい)。










 そして、所変わってアメリカの某空港にて。

「“〜!会いたかった〜っ!!!”」
「ちょ…!!!!!
 ―――――く…くるしい…」
「“きゃー!が…っ!が…!!!”」

 金髪グラマーな少女の胸に顔をうずめるように抱きしめられたを、海堂高校野球部一行は目を丸くして見ていた。窒息しそうになったは腕をじたばたと動かしつつもごもごと言う。「苦しい」と。
 数秒後、自ら「はっ」と我に返った金髪グラマー少女は、笑いながらの頭の上に手の平を置いた。涙目になりながらも、は口唇を尖らせる。

「“カミュー、小さい子扱いは止めろやコラって言ってなかったっけ?”」
「“だって、アンタって丁度いいサイズなんだもん。許せ!”」
「……………」

、その子は…?」
「あ、すみません。江頭部長。
 えっと、紹介した方がいいですよね?彼女はカミュー・レギュラス。あたし達が試合をするチームのマネージャーをやっていて、あたしの友達です。多分、案内係で此処に来たんだと思います」

「おお、そうともさ!」
「…カミュー?」
「チームの中でイッチバン日本語うまくなたの、アタシ。だから、アタシが迎え来た」
「ちょっと発音悪いけど?」
「五月蝿い」
「うわっ、なんでそこだけ綺麗に発音してんの?」
「んージュニア?」
「あ…あぁ…そういやジュニアも……って、なんでジュニアが…?あ、そっか、そうだよね、うん。そっかそっか」

 一人腕を組んでうんうんと頷くに、周りはついていけずにポカンとしている。何時行動を起こせばいいのかと思っている海堂高校野球部一同を気遣ってか(それもと偶然かもしれないが)カミューはの腕を自身に絡ませて、歩き出した。「バス、こっち」と一言残して。
 カミューに連れられて乗り込んだバスの中。はカミューの隣にごく自然に座って話をしている(勿論、英語だ)。英語圏の国に何度か行っている部員も、江頭も、早口にスラングも使われている彼女達の会話は聞き取ることが出来なかった。そこで、改めてが帰国子女だった事を知った。

 そして、バスに揺られて、半日。やっとの事でついたグラウンドで、は空港以上の歓迎を受けた。その傍らで、江頭が向こうの責任者と話をしている。
 またもやグラマー(本当に、の知り合いには豊満な胸の持ち主が多いようだ)の熱烈歓迎を受け、ハンサムと頬にキスを交わし。「なんじゃこりゃあ」とちゃぶ台を返したくなった榎本は、千石の股間を思いっきり蹴ることで少しだけストレスを解消した(しかし、と彼等のいちゃいちゃはまだ続いている)。

「今日は到着したばかりと移動に半日費やしたため、自由行動とする。だが、各自コンディションは整えておけ。明日から三日間の合同練習、四日目に試合を行う。以上だ、解散していいぞ」
「あ、皆自由行動だからって、門限は守ってねー」

「“、ちょっといいかしら?”」
「“アンタにそんな丁寧な言葉で言われると鳥肌立つわー。で?”」

!!!!!」
「わぁお!ジュニアじゃん!久しぶりー!」

 金髪青目の青年が、と日本語で言った。はその声を聞いた途端に、顔を綻ばせて彼の名を呼ぶ。そのまま腕を広げて走り出したかと思いきや、青年はの頭(しかもキチンとつむじに)拳をガツンを入れた。

「!!!!!」「馬鹿かお前は!!!!!!」
「〜〜〜〜〜っ!!!!」
「なんでまた日本なんかに戻ったんだよ!」
「―――………………いったぁい……日本なんかって言わないでよねー」
「“…が、日本に戻るのは知っていたが、俺達に言わないで勝手に行くな。心配するじゃないか”」
「え? えぇええええぇ?
 “ジュニア、心配してくれたの?”」

 突然、言語を英語にした青年――ジュニア――の言葉に少し首を傾げつつ、言葉の意味を理解したらも英語で返した。すると、ジュニアは顔を少しそむけ「悪いか」と言った。

「好きだジュニアー!」

 はジュニアに飛びついた。その勢いで頬にリップ音を響かせた。
 その近くで、榎本の怒り(と言うかこれはもう嫉妬だ)のボルテージが急上昇し始めた。千石が心の中で悲鳴をあげた。

「(ちょ!充血してるうううぅぅうぅうう?????)」

あとがき

可愛い妹分に近寄るどこぞの馬の骨とも分からない男に、触れて欲しくないのですよ兄貴分としては。っていうか大分当初の予定と比べると狂ってしまったなぁ。どうやって修正…あ、出来ないわ。それたらそれた方向にまっしぐらなので…(;´▽`A``

(20080428)