017.止まることのない青空。

 電話の相手は、好きなだけ一方的にまくし立てた後、突然通話を終了させた。はツーツーツーと言う受話器に向かって「一方的に喋りやがってアイツ…」と睨みつけた。
 渡嘉敷はに「誰だったの?」と聞いてみる。

「アメリカ時代の悪友」
「親友じゃないのかよ」
「寧ろ腐れ縁でいいよ腐れ縁で。
 (あーあ、ジュニアを怒らせると後が怖いし。アイツなら日本嫌いって言いながらも怒ったらなんか来そうだよ。一悶着起こしそうだし…何…これって、素直にあたしにアメリカ行けって言う事?)」

 冗談じゃない。は強く思う。自分が商売の道具にされるなんて真っ平ごめんだ(でもこのまま日本の残ったらその後がかなり恐ろしい事になりそうだった)。
 しかし、旧友に会えるというメリットが一つだけある。これを逃したら当分の間はアメリカに行く事もないだろう(は正月も日本で過ごす気満々である)。

 でも、待て。よくよく考えろ 。カミューが高い料金を払ってまで電話で確かめたんだ。それはやっぱり陰湿眼鏡の言う通りメンバー表(しかも選手だけじゃないトレーナー陣も)が向こうに行っているという証拠なんだろう。
あの陰湿眼鏡(もう吾郎が言ってるとっちゃんボーヤでいいかなぁ)がここまで仕組んだとは思えないんだよね。さて、どうするか。うわー、でもやっぱアメリカ行きたいなぁ。
と、は考える。

「―――――、アメリカ行ってこいよ」
「え?何言ってんのトカちゃんったら」
「知ってるよ、俺達。が一軍の海外遠征について行ったら、もう此処には戻って来ないって事も知ってる」
「薬師寺から、聞いたんでしょ」

「監督からだよ。『これはにとって在学中最大のチャンスよ。貴方達で言うなら、一軍に上がれる壮行試合のようなもの。がトレーナー目指してウチに来たって事は知ってるでしょう?でも、は厚木を離れたくないって思ってるの。だからね、の為にも、皆で背中を押してあげましょう』って。この前皆に言ってた」
「……………ちょ…フツーに泣きそうなんだけど。トカちゃんの女泣かしー」
「泣かしてねぇ!兎に角、俺達はお前以外の奴にマネなんかして欲しくねぇけど、お前にはいいトレーナーになって欲しいって思ってんだよ!だから…だから、アメリカ行けよ」

 の瞳に、大粒の涙が溜まる。「渡嘉敷のばか」と言うと、は背中を向けて走り出した。直後「!?」と言う渡嘉敷の声が聞こえた。
 階段を駆け上がり、角を曲がった所で誰かにぶつかる(少女漫画的、乙女展開ってあるんだと泣きながら知った)。「ごめん!」と俯いたまま言うと「ちゃん?」と心配そうな寿也の声が降ってきた。ただでさえ、上から目線で何時も頭上から声が聞こえているのだ。今回は更に上から聞こえた。

「ごめん寿也!」

 そう言うと、再びは駆け出した。廊下を走り、もう一回角を曲がる。そこに、目的の部屋はあった。

「静香さん!!!」
?どうしたのそんな顔で」

 可愛い顔が台無しじゃない。静香は紅茶を啜りながら言った。

「一軍海外遠征の事…皆に言ったんですか?」
「言ったわよ。そうでもしないと、貴女行かないじゃない」
「当たり前です!あたしは江頭の商売道具にはされたくありませんから!」
「でも、これはにとって在学中最大のチャンスよ」
「それでもっ!」

「いいから、聞きなさい。あたしはね、貴女には兄さん以上のトレーナーになって欲しいと思ってるの。野球を好きな貴女が、一時期野球を断念しても、こうして選手をサポートする形で野球に関わるって事はそれだけ野球が好きなんでしょ。
 貴女には高校野球部のトレーナーで終わって欲しくないの。これからもずっと、ずっと野球に関わって欲しいのよ。その為に、選手と同じように結果を残せば、貴女が狙っている留学には非常に有利に働くわ。そうすれば、海堂より更にいい設備の場所で勉強が出来るのよ」
「静香さん、」
「これがあたし達大人の勝手な言い分だとは重々承知の上よ。一指導者として、貴女も彼等同様にプロになって欲しいの。あたし達と同じ土俵で、何時か一緒に働きたいって思ってる、あたし達大人の勝手な…ね」

 続いて、静香は「そうでしょう、外で立ち聞きしてるボーヤ達?」と続けて言う。すると、彼等の体重に堪えられなくなったのか、ドアが開いてなだれ込んでくるものがあった。










 大きなスーツケースを転がして、はエントランスを横切ろうとしていた。ふと、足を止めて管理人室のガラス窓をコンコンコンと叩く(普通のノックは三回で、トイレが二回なのだ)。ガラガラを音を立てながら開けると、管理人は「ちゃん、大荷物持って何処に行くんだい?」と言った。

「一軍の海外遠征にくっついて行くことになって。多分ずっと一軍につくと思うから、挨拶に」
「江頭部長が言っていたやつだね。オーケーしたんだ」
「始めは断ろうと思ってたんですけど、皆が背中押してくれたんで。ちょっとレベルの高いトコで揉まれてきます」
「そうかい、花が無くなって此処も寂しくなるね」
「半年前に戻るだけですよ。
 ―――――短い間でしたが、お世話になりました。運が良ければまた此処に戻ってこれると思うので、その時はまたよろしくお願いしますね」
「あぁ、行ってらっしゃい」
「行って来ます」

 ニカッとは笑う。管理人も変わらず微笑んで。つい後ろ髪引かれたくなったが、我慢した。
 そう、は皆より一足早く一軍に行くだけなのだ。ただ、それだけなのだ。

「ちょっと、。行くならもっと早く言ってちょうだい。車の準備がまだじゃないの」

「俺達に黙って行くのかよ。冷てーな」
「僕達に一言くらい、言ってくれたっていいんじゃないの?ちゃん」

「だって、ちょっとだけ気が引けるんだもん」
「そんなこと無いよ。僕達だって来年の夏には一軍に昇格するんだから」
「その前に壮行試合でいい結果出さなきゃ、無理じゃんか」
、俺達の実力を知らないの?楽勝じゃん」
「だからさ、一軍で待っててよちゃん」
「一足先に揉まれてこいよ」

「寿也、トカちゃん、やっくん……………」
「ってなんかこんな場面でそんな呼び方、なんか笑えるわ」
「静香さんこそ、その一言でムードぶち壊しです」
「ごめんなさいね。あなた達にこんなシリアスは似合わないと思ってー」

「と…取りあえず、行ってらっしゃいちゃん!僕達も直ぐそっちに行くからね!」
「っ!ありがと皆っていうか寿也に渡嘉敷に薬師寺。行って来ます」

 急いで車を回してきたのだろう。薄っすらと汗をかいている田尾の助手席に静香が乗り込み、は後部座席に乗り込んだ。

「(ばいばい、厚木!あたしは先に一軍に行ってるよ!)」










 本校、校門で車を止めてもらった。降りたは、静香と田尾に改めて「ありがとうございました」と言う。静香はの頭を撫でながら「分かってると思うけど、江頭には十分気をつけて」と言った。

「分かってますよ。上手いこと切り抜けて、商売道具にならないようにがんばります」
「何かあったら何時でも厚木に来なさい。待ってるわ」
「はーい。
 ―――彼等が一軍に上り詰めない限り、一軍はあたしの居場所であたしの居場所じゃない。彼等に、待ってると伝えて下さい」
「えぇ、任せなさい」

 ペコリ、と頭を下げるとはスーツケースを持って歩き出す。静香と田尾はその小さな背中を心配そうに見詰めていた。

「田尾くん、」
「大丈夫ですよ、彼女は強い子ですから」
「そうね。何かあっても、向こうには千石くんや榎本くんが居るものね。何かあったら守ってくれるわ………多分」
「千石くんの場合は、逆ならなきゃいいですけどね」
「それは言っちゃ駄目っていうか大丈夫よ、千石くんはの事対象外として扱ってるから。彼の好みはギャル系よ」
「…………………(方向性、変わってきてませんか?)」

「さて、田尾くん厚木に戻るわよ!あの子達に発破かけなきゃねっ!」

 静香と田尾の車が発車した後、は寮の前に着いていた。玄関には江頭が微笑みを向けて待っていた。「やぁ、くん。待っていたよ」と言いながら。
 は「お世話になります」と一言いい、お辞儀をする(そんな事これっぽっちも思ってないなんて絶対表には出せない)。

「急遽、厚木から移ってもらって申し訳ないね」
「いえ……」
「まぁ、その荷物のままでアメリカにも行けるように、と言っておいたから出発まではのんびり過ごすといい」
「はぁ…」
「選手達は最終調整に入っているから、君は何もやらなくていい」
「(それって早く来た意味無いじゃん)」
「あくまで、出発前の顔合わせ程度に、思っていてくれて構わんよ」

 江頭の眼鏡が、怪しく光った。

 そして江頭はに相槌しか打たせず、前を歩いていく。静香とは大違いだ(静香はちゃんと会話をしてくれる)。何処に連れて行くのだろうと思っていると、ミーティングルームと書かれた部屋の前で止まった。

「取りあえず、顔合わせだけは早めにやっておきたくてね」
「まぁ、構いませんけど」

 そうが言うと、江頭はドアを開けて中に入っていった。顔合わせを早くするにこした事は無いとも思うのだが、せめて荷物を置く時間は無いのかと小さく呟いた。



「皆さん、お久しぶりです。今回の海外遠征から一軍マネージャーとして皆さんのお手伝いをさせて頂く事になりました。よろしくお願いします」

あとがき

お疲れサマです。これで一年秋編は終了です。次は一軍マネ&過去編になります。……な、長かった。

(20080312)