静香と泰造、の三人は監督室に居た。部員は全員、自主トレーニング中である。
「待たせてごめんなさいね、少し手間取っちゃって」
「構いませんよ。寧ろ手を煩わせたようでなんか、すみません」
「いいのよ。あたしが勝手にやった事なんだから」
「それで、どうでしたか?」
「やっぱりの件も茂野くんと同じかしら?」
「そうよ。あたしも動けるギリギリまでっていうか…また、江頭から直接聞いちゃったのよ」
「それじゃぁ、やっぱり茂野くんを甲子園のスターにして、を海堂のアイドルにでもするのかしらね」
「あんまり、言いたくないけど兄さんの言う通りね」
「あたし、アイドルになんかなりませんよ」
「でも江頭の言う通りにしないと、は海堂を辞めなきゃいけない状況になってしまうわ。なんたって、二軍マネージャーになるって言う子は理事の娘なのよ」
「大盛 カナエ…だったかしら?その子の名前」
「あぁ、あの人。やっぱり、理事の娘だったんだ」
「なぁに、クラスメイトなのに半年も一緒に居て知らなかったの?」
「基本的に、あたしは同姓には好かれない性質なので」
苦い表情で言う静香や泰造に、は「やっぱり」と言う表情で答える。江頭に一軍マネージャーになれと言われてから、薄々勘付いてはいたのだ(なんせ、吾郎を甲子園のスターにすると聞いていたからだ)。そして、それをなんとしても断る方法を考えていた。
このまま卒業まで彼等のマネージャーでいられたらどんなにいいだろう、とは考える。入学してからずっと、頑張ってきた彼等のサポートする事が普通になっているのだ。突然、一軍に行けと言われても笑顔で分かりましたなんて言える筈が無い。寧ろ、眉をしかめるだろう(実際にしかめた)。
「ま、だもの。貴女は色々と待遇が良すぎるものね。性格が性格って言うのもあるけれど」
「泰造さん、それっていい意味でですか?」
「やぁね、悪い意味に決まってるじゃないの」
「マジっすか」
「の性格の話は置いといて。
その、大盛 カナエって子が理事の大盛さんを拝み倒したらしいのね。それで、江頭に頼んで実習を二軍にしたり、色々とやってたわけ」
「マネージャーやりたいのなら、正々堂々と言ってくればよかったのに」
「それは出来ないんでしょうよ。入学前からがマネージャーで入ることが確定していたわけだし、あの子達の野球にかける情熱に生半可な気持ちで接するのはいけないわ」
「その点、はよかったのよ。自身、小学校はリトルで選手して、アメリカに渡っても方向性は変わったけど野球に関わってきて。野球が好き、って分かるもの」
「あたしはもう、公式戦でマウンドには上がれませんけどね。それが一番キツいんですよ、皆は普通に野球をやってるのに、女だからって出来ないの。まぁこの身体じゃもう難しいんですけど」
は自嘲的な笑みを向ける。アメリカで起きた痛い記憶が、蘇った気がした。そして右肘が、ズキンと痛んだ。思わずは左手で、右肘を押さえる。背中に冷や汗が垂れた。
「それで、言ったの?」
「何をですか」
「幼馴染の茂野くん、佐藤君の二人だけでもいいの。あの事故、ちゃんと説明したの?三人で野球する約束だったんでしょう?」
「………言えませんよ。絶対に」
監督室から出て行こうとするの背中に、泰造は言う。ドアを開けたまま立ち止まったは、ポツリと呟いてからパタンとドアを閉めた。泰造はそんなの行動に溜め息を吐く。
「まだ、あの子の深い傷となってるのね。あれは」
「仕方ないでしょう兄さん。幾らだって、あれは……」
「あの子なら、大丈夫と思ったのよ」
「それは…そうだけれど…まだ消化するには早過ぎるわ。あの子はまだ思春期なんだから精神的にも不安定よ」
泰造は閉じられたドアを見ながら言った。
「あたし達、もっとしっかりしなきゃね」
「そうね…。あの子の為にも、アタシ達の為にも」
グラウンドに出ると、ぽつぽつと練習をしているメンバーが居た。全員居ない。とすると、残りのメンバーはトレーニング室だろうか。
は人数を確認すると、ベンチの奥に引っ込んでいった。そこに、普段使っているものがしまわれてあるのだ(流石にタオルやドリンクは別にある)。バインダーなど小物を取り出すと、寮に向かって歩く。
「あれ、居たんだ」
「居たんだって、なんか酷いよそれ。っていうか草野こそ居たんだ、なんだけどあたしは」
「ふん、お互い様だろう?」
「まぁね、それで練習はもう終わるの?」
「身体を休めるのも選手としてやるべき事だからね。俺は茂野みたいにマゾじゃないから自分の身体を苛め抜くのは嫌いなんだ」
「確かに吾郎はマゾだね」
「否定しないのか」
「うん。だって本当のことだしね」
「(少しだけ茂野が哀れに思えてきた)」
「じゃあ、草野。あたしは皆のドリンク作るから」
はそう言うと、ひらひらと手を振って歩き出した。草野は小さくなるの背中を見ながら、自分のタオルやドリンクを手に取った。
「(自主トレだから、別に皆ちゃんと用意してるのに…)」
変な所で抜けてるんだよねって。草野はそう思いながらドリンクを口に運んだ。汗を吸って気持ち悪くなった練習着を着替える為に、足早に寮に戻っていく。
ドリンクのボトルを洗っていると、ポケットの携帯がブルブルと震えた。静香からの電話だろう、と首を傾げながら取り出すと、見覚えの無い番号が表示されていた。誰だ、と思いながらも通話ボタンを押して耳に当てる。
「…もしもし?」
『くんかい?江頭です』
「江頭さん…」
『この前話した海外遠征の日程を教えていなかったと思ってね。三日後だ、それまでに準備して当日は静香嬢に本校まで車で送ってもらうように手配している。期間は二週間だ着替えなど十分準備しておきたまえ』
江頭はそう言うと、それでは用件のみだがと言って通話を切った。行き成りブッと切れては呆然とする。幾らなんでもこれは無いだろうと、思った。
これじゃあ、断る話が出来ないと内心頭を抱えながら静香の番号に通話ボタンを押す。
「静香さん、あたしです」
『、どうしたの?』
「さっき陰湿眼鏡から電話で、一軍の海外遠征は三日後だと言われました」
『そうね、江頭はご丁寧に同行メンバーに貴女の名前を入れているわ。差し詰め、名目は勉強のため、なんじゃないのかしら』
「こればかりは断りようがないので、取りあえず行って来ようと思います」
『あたしの力が及ばなくて、ごめんなさいね』
「いえ、あたしの方こそ我が儘を言ってごめんなさい。それで、海外遠征って、何処に行くんですか?」
『あぁ、知らなかったのね。アメリカよ』
「へぇ、向こうに姉妹校でもあるんですか?」
『まぁ、私立校よ海堂は野球部だけでも沢山あるわよ』
「そうですよねー。あ、用件はこれだけなんです、ありがとうございました」
『どういたしまして』
「それじゃぁ、失礼しますね」
はそう言うと、終了ボタンを押した。
アメリカに海堂の姉妹校があったんだ、はそう思いながらボトルの水切りをする。名前くらい聞いておけばよかったかもしれない。
は大きなボールにドリンクの粉を入れる。適量の水でそれを溶かし、冷蔵庫にしまっておいたレモンを数個取り出して小さなボールに絞る。
「、居るー?」
「―――――渡嘉敷、何?怪我でもした?」
「うんちょっと足捻っちゃってさーってなんではそういうこと言うんだよ!それじゃ俺が何時も何時も怪我してるみたいじゃん!」
「だってホントでしょ」
「……………(言い返せれない)」
「で、何か用があるから来たんじゃないの?」
「あぁ、そうだ。誰からかは知らないけど、に国際電話がかかってるってさっき管理人のオッサンが」
「国際電話?ほんと、誰からだよ」
「知らないよ。オッサンも名前が聞き取れなくて、やっとの事でって聞こえたらしいから」
「リスニングは必要だよートカちゃん」
「とにかく!早く行けって!」
渡嘉敷に背中を押されながら、は寮のエントランスに向かった。すると「あぁ、ちゃんっ!」と半分泣き顔になった管理人が居た。変な人からの電話だったらどうするんだ、と思いながらもは受話器を受け取った。「Hello?」と面倒臭そうに言った。
『“なーに面倒だって声出してんのよ。私だよ、私”』
「………“おれおれ詐欺はお断りです”」
『“ちょお待てや!私の声、忘れた?!”』
「“どちら様で?”」
『“しばくぞコラ”』
「“三倍返しするよ……………カミュー”」
『“全く…折角人が高い料金払って電話してんだから無駄なお金使わせないで!まぁ、だから分からないことも無いけど。
今度、うちとアンタの学校が交流試合やる事になってんの、知ってるでしょ”』
「“え…まぁ、知ってるけどアンタん所だったんだ”」
『“何その言い方。私、これでもすっごい驚いてんのよー”』
「“じゃなきゃ電話なんてかけてこないでしょ”」
『“連絡するってアンタの言葉を信じてたのに、半年経っても音信不通の友人の生死の確認も兼ねてだけどね。それで、知ってたの知らなかったの”』
「“生死の確認って…向こうじゃ無いんだから、そんな簡単に死なないよ。で、さっきの返事だけど…海外遠征があるっていうのは知ってた。対戦相手までは知らなかった。これで満足?”」
ペラペラと英語を操り始めたを、渡嘉敷と管理人は目を丸くして見ていた。懐かしい友人の声を聞きながら、は内心毒づいた。
「(江頭の奴…やってくれた!)」
タイミングよくかかってきた電話。知らなかった対戦相手はアメリカ時代の親しい友人のチームだった(が向こうで通っていた学校は幼稚園から大学まであるマンモス校だったのだ)。
『“まぁ、ね。それで、アンタも来るって聞いたんだけど、本当?”』
「“…当日になったら、仮病使って残ろうと思ってるけどね”」
『“そんな事したらジュニアが怒る。それだけはやめてくれ”』
「“無理よ、あたしは金の卵を産むガチョウにはなりたくないもの”」
『“は?何それ”』
「“あたしの今それなりに危ない立場に居るって事!”」
『“そんなの私達の知ったこっちゃ無いわ。兎に角、私達がアンタが来るって事で色々と企ててるから、仮病なんて使ってごらんなさい。激怒したジュニアがアンタをアメリカに連れ戻しに来るから”』
「“ジュニア、日本嫌いでしょ?”」
『“だからそこ、激怒して連れ戻しに行くんでしょうが。アンタ、馬鹿ね”』
あとがき
そろそろ一年秋も終わりです。あと、一話。それから一軍レギュ編に行きます。
(20080312)