012.空を仰いであと1歩

 始業時刻ギリギリに、カナエは教室に滑り込んできた。はグラウンド側の一番窓際の席で、カナエとその取り巻きのきゃっきゃという会話をを聞き流しながら本を読んでいた。

ちゃんったらほんとつれないんだからぁー野球部の皆、寂しそうだったよぉ?」
「別に、彼等とは毎日会ってるし」
「そっかぁ、そうだよねぇーちゃん、マネやってるから野球部の寮に住んでるんだもんねぇー」
「それが、何か?」
「んー、別にぃーなんでもなーい」

 癇に障るその喋り方でカナエはにっこりと微笑んだ。何かを含んだカナエの物言いに、は内心小首を傾げた(何故ならそれを表情に出すのはプライドが許さなかったのだ)。

 授業中も、カナエは野球部について語っていた。やれ佐藤が、茂野が…と目を輝かせてうっとりとする彼女に呆れつつ、はノートを取る。実習前の講義はちゃんと聞いていないと誤ったやり方をしてしまう事があるのだ。
 教師が黒板に人型を描き、それに様々な注意事項を書き込んでいく。もノートにそれを取っていく。後残り十分を我慢すれば、実習でカナエと別れることが出来るのだ。それまでの辛抱だ、と自分自身に言い聞かせて、チャイムを今か今かと待つ。

「あー、実は本日、何時も快く実習を引き受けてくれている野球部の一軍――レギュラー――が遠征で留守にしている為、二軍の部員が協力してくれることになった。彼等は皆と同学年だから、そんなに気を使わなくてもいいそうだ」
「先生ぇ、それ本当ですかぁー?」
「嘘はつかんぞー」
「じゃぁ、相手って、もう決まってるんですかぁ?」
「それは向こうに行ってから決めるそうだ」
「自由にして下さいよぉ!自由に!ちゃんも自由にして欲しいわよね!?」
「……………別に。どうでもいい」

 目を輝かせてカナエは言う。何せ朝から噂をしている野球部の彼等が実習に協力してくれると言っている(らしい)のだ。これが興奮しないわけがない。淡々とそれを見ていると、取り巻きときゃっきゃっと喜ぶカナエ。

「(野球部って皆一癖あって面倒なんだよね…)」
ちゃん!早く行こうよ!」
「いや、あたしちょっと寄る所あるから」

 えーと口を尖らせるカナエを無視しては階段を下りていく。一つ下の階に到着すると、素早くトイレに駆け込みガチャンと個室に入る。そして、携帯を取り出すと着信履歴の一番上に電話をかける。相手は、三コール目で「はぁーい」と呑気な声をして出て来た。

『まだ授業中なんじゃないの?』
「休み時間なんで手短に用件だけ言いますけど、静香さん今いいですか?」
『えー…うん、大丈夫だけど』
「うちの部員がトレーナーコースの実習に付き合ってくれるなんてあたし一言も聞いていませんけど、静香さん知ってました?」
『あぁ!それね、あたしもさっき聞いたの!江頭から!』
「…あー…あの陰湿眼鏡のせいですか…分かりました。ありがとうございます」
『うちの選手達の事をそちらで勝手に決めないでってあたし言ったのに、』
「陰湿眼鏡の奴、どうせこの前の吾郎の件出して静香さんに有無を言わせなかったんでしょ?大体想像はつきましたんで、じゃあ、あたしに出来る精一杯をやってきますよ」
『いいえ、実は誰かまでは言わなかったんだけど、一人の理事の…娘だったかしら?まぁその理事の娘がうちの選手をやけに気に入ってるから、って言ってたかなぁ』
「あぁ、犯人分かりました」
『早!』
「じゃあ、静香さんありがとうございました。そろそろ時間なので失礼しますね」

 通話の終了ボタンを押したは、今までにない笑顔でにっこりを微笑んだ。「あんの猫かぶりめ…っ!」と小さく一言呟くと、トイレから出て行った。










 トレーナコースの使う施設は本校から五分離れた建物の中にある。半年歩き続けて慣れたその道を、は一人で歩く。木の葉が茶色に染まった、並木道。

「あー居た居た。!」

 やけに元気のよい声に名前を呼ばれ、は振り返った。するとそこには何時ものメンバーがぞろぞろと固まって歩いていた。ちなみにの名前を呼んだのは吾郎だ。その隣で、寿也が「吾郎くん道のど真ん中で大声出さないでよ!」と言っていた。
 立ち止まっては、彼らが来るまで待つ。

「どしたの皆?」
「どしたの、じゃねぇよ」
「そうそう。ちゃんこそ、どうしたの、だよ」
「お前あんなチャラチャラしたのとツルんでんのか?」
「チャラチャラ…誰それ?」
「ほら、今朝の!」
「ああ。彼女ね、あの人最近よく絡んでくるんだ。ぶっちゃけなくてもこっちは迷惑なんだっつーの」
「ま、ちゃんにああいったタイプの人は合わないよね」

 額にシワを寄せて、は言う。本当に心底嫌そうな表情だ。

「それで、彼女が何かしたって?それをあたしに言わないで。関係ないから」
「アイツ、今朝俺達になんて言ったか知ってるか?」
「は?」
「せやなぁ、分かりやすく言うと、あの女自分も野球部のマネしたい、ってゆうとったなぁ」
「無理だね」

「いや、それが無理でもないみたいなんだって。あの子のお父さんが此処の理事やってるって言ってたんだ」
「……………何その漫画的な展開は」

 は呆れつつも盛大に溜め息を吐く。渡嘉敷が「だよねー」と間延びした言い方で同意の意を唱える。まさか自分がそういったありえない非現実的なものに直面するとは思わなかったのだ。

「だが心配ないだろう、監督が許可しない」
「いや…寧ろ心配なんだって」
「何故だ?」
「陰湿眼鏡。アイツが今回許可を出したから、あたし達の実習にアンタ達が付き合わされる羽目になったの、知ってる?だから江頭がいーですよーって言ったら終わりだね。あーあ、此処もどうなっていくんだか。元経営コンサルだからって、うちのやり方を壊していくのはやめて欲しいよね」

 眉村の言葉をスパッと気持ちがいいくらい切る。静香と吾郎の件も、今回の実習の件も知っているからこそ、は眉村にそう言いきる事が出来た。
 そして一同は施設に入って行った。










「よーし、皆集まったな?
 それじゃー今回の組み合わせだが、もう面倒だから普段の担当と同じポジションでいいかー」

 教師がパラパラとバインダーにはさんだ紙を捲りながら言う。その言葉に、トレーナーコースの女子生徒から「えー」とブーイングが起こる。その中に「私泉くんと組みたいのにー」「そうだったのーわたしは眉村くんがいいなー」など名前が出てくる。

「あたしは別に誰でもいいんだけどなー。だって何時もやってるし」
「俺は別にどうでもいい」

 面倒だ、とオーラを醸し出していると吾郎に苦笑しつつ、寿也はその普段のポジション別になると自分は誰にやってもらうんだろう、と考え始めた。
 寿也と吾郎に挟まれて、はあくびをかみ殺す。クラスメイトのミーハー具合に、教師同様呆れつつは教師に詰め寄るクラスメイトを冷ややかな目で見た。彼女達の中で一番目立っているのが、カナエだった。
彼女もよくやるわ、と思いながら寿也に話しかける。

「寿也はあたしの担当だから安心していいよ」
「え?そうなの?」
「うん、あたし基本的にバッテリーが担当なんだ。こればかりはどこぞの素人には診せたくないって、陰湿眼鏡が言ったらしい。だからその時その時のどっちかのスターテスを見て判断してるの」
「とすると、ちゃんの担当って…」
「この面子で行くと、ピッチャーの吾郎と眉村と阿久津に市原。キャッチャーの寿也に米倉になるね」
「で、その中から一人しか出来ないんだよね?」
「ま、実習だし?でも、今回はどうだろうね………」

 そう言いながら、はカナエをちらりと見る。どうやら彼女が教師に根気勝ちしたらしく、始まる前からげっそりと疲れ果てた教師に向かって「ありがとぉ、せんせぇー」と言っている所だった。
「やったねぇ」ときゃっきゃしながらカナエを初めとする女子生徒がお目当ての野球部員に向かっていく。そして、あちこちから「○○くん、私にやらせて下さい」といったような感じの声が聞こえる。

「佐藤くん!私に任せてくれませんか?」
「あ、待ってよ!わたしも佐藤くんがいいのに!」

「だーめ!佐藤くんはアタシと組むんだからねぇ!その為に先生に好きな組み合わせにして貰ったんだよぉ」

「え!カナエちゃん佐藤くんとなの!?」
「へーなんか二人共美形だからお似合いだね!」

「ねぇ、佐藤くんはアタシだと不満なのぉ?」
「えっ、いや…不満じゃ…」
「ならアタシと組もうよぉ?
 あ、ちゃんは誰と組むのぉ?」

「(わぁお!あたし見事に余っちゃってるんですけど!っていうかあの女ウザ過ぎなんですけどォー!寿也目当てだってはっきり分かっちゃうんだけどー!)
 …誰か余ってる人かなーっていうかこの状態じゃ誰が余りものか分からんわ」
、」
「あら。あらあら!まさかやっくん余りもの!?」
「るせえ」
「やっくん以外と人気ありそうだったのにーどうしたのさ。まさか女の子睨んだ?駄目だよーそんな事したらもてなくなるよ」
「余計なお世話だ」
「そりゃそうだ。そっち空いてるベッドある?」
「あぁ」
「じゃ、あたしがそっちに行くよ」

「お互い頑張ろうねぇ、ちゃん!」
「―――――………そうだね」

あとがき

オリジナルキャラがかなりイラつきます(自分で考えたキャラなのに)。特に語尾を伸ばす所がね。

(20080301)