008.過去に稀なる青天の霹靂

 昨夜、監督室がやけに騒がしかったなと思いながらはシャワーを浴びる。厚木寮で生活するようになってから、毎朝こうしてシャワーを浴びるのがの日課になっていた(何故ならそれは寝ている間の汗を落とすのと、寝癖を直すのと一石二鳥の行為なのだ)。
 小さな個室のシャワールームから出ると、携帯が鳴っていた。この着メロは静香からだ。こんな朝早くか
らどうしたのだろうと首を傾げながらは通話ボタンを押す。すると焦った声色の静香が一気に捲くし立てた。

「はい、で『!?悪いけど今日の朝練は貴女に任せるわ!じゃ、よろしく!!!』」

 プッツーツーツー……。何があったんだろうか。確かに昨日の夜はなんだか騒がしかったのだけど。それが何かしらの関係があるんだろうか。

「(ある。大いにありえる。だって昨日吾郎が何かしたんだもん)」

 ふむふむと頷きながらはジャージに着替える。そして机に置いてあったファイルをパラパラを捲りだした。そのファイルには全員のデータがプリントアウトされて入っていた。

「あたし、今日はデータ整理しようと思ってたのに…仕方ない。電源何個か持ってってベンチでやるか」

 予備の電池パックを二つ、何時ものスポーツバックに詰め込んで、部屋を出る。ふと視界に入った隣の部屋――静香の部屋――には、人の気配がしていなかった。予想はしていたが先ほどの騒音からすると、車の中からの通話だったのだろう。

ーおはよう。監督は?」
「トカちゃん、おはよ。急な用事が出来たみたい。で、あたしも今日はする事あるから適当にやってくれない?」
「する事って?」
「君達のデータの整理を少しばかし。夢島から当時のデータもやっと送られてきたから、一気にやろうと思って。朝練中はあたしもする事無いし」

「うわーよくやるねぇ」
「やるねぇって、あたしがこれやらないと誰があるのさ」
「……あー…」
「誰もやらないよ。静香さんって以外とずぼらだったりするんだし。泰造さんは専門外って言ってたし。あたしが来る前は誰がやってたんだよ」
「あのひょろい人だって、聞いたけど」
「あぁだから昔のデータはやけに几帳面に細かくなってた訳か」

 渡嘉敷と並んで食堂に入ると、ほぼ全員が食事を摂っていた。「よっこいっしょ」とスポーツバックを持ち直して、は空いている席を探す。眉村と薬師寺が使っているテーブルが空いていた。
 おはよ、と近くに行き「此処いい?」と尋ねると眉村が無言で頷いた。「ありがとう」とバックを置いて、朝食を取りに行く。

「うわー今日も朝からボリューム満点。これちゃんとした朝食じゃないのに…」
「朝練前の軽いものでも、には十分だからねー」
「いやでも、これだけだと昼前にはお腹が…ぐー、と」
「恥ずかし!」
「るさいな!仕方ないでしょ、生理現象よ!ってゆかなんでトカちゃんは何時もいつも人の揚げ足を取るような事ばっか言うのさ!」
「それはいいから、監督が居ないの言わなくていいの?」

「むー…。

 全員揃ってるー?揃ってなくても言うよー居ない人には誰かちゃんと伝えてね。
 本日の朝練は監督が不在なのと、あたしもやる事があるので適当に自主練でもやっちゃって。いじょ」

 はそう言うと、朝練後にも食べられるように量が少なめな品物を選んだ。










 学校行きのバスの中にて。やっぱり誰か欠けているとは周りを良く見回した。

「…あれ?吾郎と寿也って何処?」
「あの二人なら朝からおらへんで」
「うっそ!?」
「ほんま、ほんま。なんやー知らんかったんかー」
「そりゃーそうでしょ」
「ま、あの二人なら大丈夫やねん」
「三宅の大丈夫はあんまり信用が無いんだけれど、仕方ない。ま、いっか」

 通路を挟んだ隣に座る三宅がの独り言(だと思われるもの)に答えた。三宅の隣に座る泉が窮屈そうに相槌を打ったのが見えた(が実際は三宅のガタイが良すぎるため影がそうしているようにしか見えなかった)。
 学校の近く、になるとバスの直ぐ側を見慣れた人影が通り過ぎていくのが見えた。自転車も、何処かしら見た覚えがある。

「茂野じゃん」
「ほんまやー何やってんねん、アイツ」
「んー…何時ものことじゃない?」
「面倒やけん、そーゆー事にしとこか」

 あぁ、やっぱり。何をやってるんだアイツは。とは小さくなったその背中に溜め息を吐く。昔から、突拍子も無い事ばかりをする奴だとは思っていたが、それも相変わらずのようだった。

「ねぇねぇ、そういやんクラスって数学何処まで進んでる?」
「あ、数学?んーっと…大体、三章半ばくらいまで、だったかな?」
「ノート、今持ってる?」
「あるよ。今日は三限にあるから」
「一限終わったら返すから貸して!お願いこのとーり!」
「別にいいけど。珍しいねートカちゃんが勉強するなんて」
「テスト近いから、ちゃんとやろうと思って」
「あれ、でも直樹から野球部ってテストのレベル低いって聞いたよ」
「そのレベルの低いテストで、赤点近かったらヤバいだろー」
「確かに」

 そう言われれば、確かに二学期の中間テストが近付いてきている。そろそろ本腰入れて勉強始めるか、とはこれからの予定を組み始める。こう見えて彼女は成績優秀者なのだ。
 渡嘉敷がの数学のノートをパラパラと捲る。

「うわー同じ体育科でも進度が違う……」
「そりゃそうでしょ、野球部は夢島に行ってた人達も居るんだし」
「だよねー俺達は野球で甲子園さえ行けばいいみたいな事言われたもん」
「それに、あたしは海外留学狙ってるから」
「え!?海外行くの!??」
「どうせなら、設備のいい所で勉強したいじゃん。今のあんた達みたいに」
「あーうん、そうだね」
「…なに。あたしが海外行っちゃったら寂しいって?トカちゃんかわいいっ抱きしめたーい!」
「ちょ!セクハラーーー!!!」

 後ろの席に米倉と座っていた渡嘉敷を、は座席に膝を立たせ後ろを向いて楽しそうにガシガシを頭を撫でる。しかし、可愛いと言われた渡嘉敷は複雑だ。男なのに可愛い…と微妙な表情をしている。隣に座る米倉が遠い目で二人を見ていた。
 そんなこんなで今日も騒がしく野球部は登校するのであった。
 キャハハとは笑っていると、ポケットの携帯が朝同様に鳴った。正確には、マナーモードにしていた為、着メロではなくバイブだ。ブブブと振動を与えられている事に気付いたは「ごめん、電話だ」と言い、運転手の近くまでよろけながら歩いた(そして「おい、走行中に歩くのは危険だ」と言われた)。

「はい、です」
『あたしよ、。今バスよね?』
「え、あぁ、そうですけど」
『じゃあ、学校に到着したら一軍の寮まで来て貰える?担任には遅れるって連絡しているわ』
「? 分かりました。では…」

 首を傾げながらも、通話終了ボタンを押した。

「やっぱり、なんか可笑しいよ」










 学校前のバス停で、他のメンバーと別れたは一軍の寮へと向かう。校門では、風紀委員が秋の挨拶運動をしていた(が、ドイツもコイツも覇気の無い挨拶では軽く殺意が湧いた)。その前を通り過ぎて、後者とは反対の向かう。
 野球部専用校舎の向こうに、一軍専用の寮がある。その入り口に、人が立っていた。


「直樹っ!?授業は?ってか起きてる!!??」
「早乙女監督に頼まれていてね。君を案内したら授業に行くよ」
「あー…ありがと」
「どう致しまして」

 榎本は、にっこりと微笑む。超が付く程手の付けられない低血圧の榎本がこんな朝早くから起きてるなんて、とは驚いていた(なんせか千石が毎日彼を起こすのだ)。
 それじゃ行こうか、と前を歩き出した榎本に、は慌てて着いていく。

 暫く階段を上がると、そこには応接室と書かれた看板が掲げられていた。榎本は「この中に早乙女監督が待ってるから」と言うと、じゃあねと言って引き返した。はノックを三回して言った。

「静香さん、あたしです」
「入ってちょうだい」

「どうしたんですか、こんな時間に、こんな場所で」
「ごめんなさいね、試験前なのに。でもどうしても話しておかなければいけない事があるのよ」
「それって、昨日の騒ぎと何か関係が?」
「っていうかそれよ。本当は江頭が此処に居るからこんな場所で言いたくはないけど、緊急事態なのよ。これから話す事はにとって酷な事かも知れないわ。それでも聞いてくれるかしら?」
「それが野球部に関わることなら」
「…ありがとう、
「多分、話が長くなりますよね?コーヒーか何か淹れましょうか?」
「そうね………確か、紅茶があった筈。ミルクティーでいいかしら」
「あたし、淹れますよ」
「ありがとう」
「(なんか、思いつめたような顔してる……)」

 幾分元気の無い静香の声に内心首を傾げつつ、は紅茶を淹れる為に棚からティーポットなどを取り出した。ソーサーとカップ、ポットと一緒にダージリンの葉が置いてあった。有名メーカー製と印刷されている事から、きっと来客用の葉なのだろう。

あとがき

悩みました。ヒロイン嬢が壮行試合後に吾郎が出て行くことを知らせるのは。そして榎本出しました。だって好きなんだもん!

(20080218)