一限目の終了のチャイムの直後に、廊下側の窓から聞こえて来た声。名前を呼ばれた本人は、無言で辞書を持って窓際まで移動した。
「わーい。ありがとー」
「この前も忘れただろ」
「え?何の事?」
「とぼけるなよ」
「だって重いんだもん。それに、持ってても薬師寺は使わないでしょ」
「…」
「ねー、だから借りるね!ありがと!!」
そう言うとは、ひらひらと手を振りながら朝同様、走ってクラスに戻って行く。そっと廊下を見ると、既に小さくなった背中が角を回るところだった(矢張り、スカートが際どい所まで翻っている)。その後に、ダンダンダンと何段飛ばして降りているんだろうかと思ってしまいたくなる音が聞こえた。
野球部だけで編成されたクラスは、体育科とは別の専用校舎にある。しかも一年生の教室は何処の科も三階にある(学年が上がるにつれて階段を上らなくてもいいシステムなのだ)。チャイムの直後に現れたのを考えると、は一体何時自分の教室を出たんだろうか。
チームメイトが毎度の事ながらそう考えているうちに、は一階まで降りた。渡り廊下(と言っても野球部専用校舎と体育科を繋ぐ廊下の為利用者はほぼのみだ)まで出て行くと、窓から外を除いている泉と草野と目が合った。
は軽く手を振ると、体育科の校舎へ消えていった。
「なぁ、泉」
「なに?」
「って、一体何モンや?」
「俺に聞かれても」
などと言う会話が野球部一年の教室で繰り広げられていたことを本人は知らない。
昼休みになると、はトタトタと今度は普通に歩いて教室まで来た。そして適当に開いている椅子(性格には、薬師寺の前の丸山の席だ)に座る。そして、購買部で買って来たのだろう。サンドイッチとアップルジュースを薬師寺の机に置いて食べ始めた。
「なぁ」
「何よ」
「お前、なんで毎日此処で食べるんだ」
「いやー此処が静かに食べれるんだー」
「自分のクラスで食べろよ」
「やぁよ。十分間の休み時間でさえも、女の子達が寄って来るんだよ。
眉村はどーのこーのとか、渡嘉敷はやっぱり可愛いーとか、薬師寺ってクールだよねーとかって!」
つまり、ゆっくりしたいのにそれが出来ないのだ。
「だからって何時も何時もこっち来るのはどうかと思うが」
「いいじゃん。あたしは別に。ってか午後一の授業体育だから早く食べなきゃ」
「まだ休み時間余ってんじゃねぇか」
「女の子達の着替えって…凄いんだよ薬師寺くん」
「その呼び方、気持ち悪い」
「るさい。
大体、その日の下着の色なんかで話が盛り上がる理由があたしには分からないね!」
「お前帰れ!」
「……薬師寺って、おとこのこだよねぇ?」
がそう言うと、薬師寺が無言で机の中から英語の辞書を取り出して、凄まじい早さでそれをに向かって投げた。
「(うぉ!あれ避けた!!!)」
「言われなくても帰りますよぉだ!じゃあね、また放課後!」
「薬師寺さーちょっとは考えようよー」
「何を?」
「さっきの聞いて分からんかったんか?、クラスで浮いてんじゃねぇの?」
薬師寺が苛々しながら昼食を口に運んでいると、市原がが座っていた椅子に座った。後から阿久津も来る。教室の端から渡嘉敷が言った。
「あぁ、それ俺も思ってた。だって、半年経ってもが俺達以外とツルんでるの見たことないよ。ね、米倉?」
「あぁ、何時も薬師寺んトコで飯食ってるしな」
「よくウチの教室遊びに来るし。ってか浮いて無かったら此処まで教科書とか借りに来ないでしょ。向こうの校舎って、トレーナーコースの他に普通科も入ってるし」
「さっきの下着の色うんぬん〜でも分かるけど、ってなんかサバサバしてるやんか」
「アイツは昔からあんなんだったからなー。女友達作って遊ぶより、俺や寿とキャッチボールしてる時間の方が多かったぜ。なぁ、寿?」
「あ、そっか。茂野と佐藤は幼馴染って言ったっけ?」
「おう。で、寿とは元バッテリーだ」
「うん、そうだね。確かにそう言われるとリトルに居た時も僕と練習してる時間の方が多かったと思うよ」
「だよなぁ。アイツ、どうしたんだ?」
「僕に聞かれても。ちゃん、小学校卒業して直ぐに小父さんの海外転勤でアメリカに行っちゃったし。僕もあの時期はごたごたしてたし…」」
「あー…わりぃ」
「いいよ、もう終わった事だし」
「それで、二人は知らない訳?」
「あぁ、わりぃな泉」
「ごめん、泉」
「じゃーやっぱ、アメリカで何かあったのかなー?」
「そりゃ本人に聞かなきゃ分からないでしょ?あと、そろそろチャイム鳴るぜ」
「午後一って何だっけー?」
「今日は英語」
「げっ。予習してねぇ」
「平気だ。皆やってねぇから」
「あ、そっか」
「あれ、でも昨日、明日から夢島組も授業受けるから教科書進めるって言ってなかったっけ?」
「そそそそそそそそそそんなの知らねぇやい!」
「渡嘉敷、お前口調可笑しいぞ」
ふと、外を見るとトレーナーコースが秋のスポーツテストをやろうとしている所だった(体育科は春と秋にテストを実施するのだ)。まだ暑い晴天の下で、ストレッチをしているを見付けた。近くに人は、居ない。
入学当初に、は体育は女子のみで普通科と合同だとしょげていたのを、思い出した人が何人か居た。
寿也がふと、外を見るとちょうどが五十メートル走を測るところだった。
「(あ、意外とフォーム綺麗)」
一人だけずば抜けて前を走る。それもそうだろう、彼女は今まで運動を欠かした事は無いのだから。「!校内女子の新記録だぞ!陸上部に入部しなおせ!」「嫌です!あたしは野球部です!」「なら全国狙えるぞ!」「狙ってません!」体育の担当教師との会話の一部が、聞こえた。
「(やっぱりちゃんも野球一筋だね)」
自然と口元が緩んでいた寿也の肩を、三宅が突いた。
「なに?」
「佐藤、と教師の会話聞いてにやけんなよ」
「にやけてなんか」
「にやけてましたわ。所で、自分等昨日からちぃと可笑しくないか?」
「可笑しいって?」
「なんや、自分気付いてへんかったんか」
「だから何?」
「自分等、なんかぎくしゃくしとるで」
「してないよ」
英語教師が淡々と教科書を読み進める中、こそこそと耳打ちをする三宅。どうやらこの教師は「授業」が進行出来たらいいという考えを持っているらしく。誰が話をしていようが英文を読むスピードだけは止まらなかった。そのお陰か、睡眠学習に入っている者も何人か見える。
昼休みの会話を思い出しつつよくを観察してみると、確かに。彼女の周辺には誰も居ない。も他の女子も、それが普通のように振舞っていた。
「ふぅん。
あ、や。確かに、一人孤立してるように見えるなぁ」
「三宅ってさあ、結構お節介だよね」
「ウチの家族がそうやからなぁ。仕方ないやろ」
「じゃあ、ちゃんにさり気無く聞いてみてよ」
「何を」
「孤立してる理由。ほら、さっきから見てるけど誰とも話してない」
「ほほう。よく見とんなぁ」
後者の影に入るを、三宅と二人で観察しながら寿也は言った。その時、ピピーと体育教師がホイッスルを鳴らした。女の子達の塊が、ぞろぞろと集まっていく。
教師が二言三言何かを言うと、再びぞろぞろと何処かへ移動していく。グラウンドの端っこの砂場には、メジャーらしき物が用意されていた。
「高校のスポーツテスト言うても、基本は変わらへんのな」
「みたいだね、僕達は何時やるんだろう」
「多分、近いうちにやるんとちゃう?」
「そりゃそうだろ。秋のって、言ってるんだから」
「それみしても、ごっつ眠たいわー…眠気紛らわそうとお前に話しかけてみたけど、あかんわー。ほな、おやすみ」
「授業中だよ」
「そんなん関係ないやないか。この席太陽の光が気持ちよすぎるねん」
「(確かに。否定は出来ないけど…)」
「ー!陸上部へCome on!「No thank you!」」
「(まだ言ってたんだあの先生。っていうか二人とも無駄に発音良過ぎ)」
体育教師の、勧誘の声がまだ聞こえた。
あとがき
なんだかんだ言って寿也はヒロイン嬢が気になる模様。
(20080210)