なんとかマンションに帰れたは、大人しめの服装でマンションを出た。玄関で暫く待っていると、一台の車が止まる。助手席の窓が開くと、中から若い女性の声がした。
「久しぶりね、」
「お久しぶりです。静香さん」
「さ、乗って」
「はい、失礼します」
長い黒髪を背中まで垂らした女性――早乙女 静香――はににっこりと微笑むと後部座席を指して言った。すりると乗車したを確認すると、静香は隣の男性に言った。「出して頂戴」と。男性は「はい」と短く返事をして発車する。
「まさか、本当にウチに来てくれるとはね」
「驚きましたか?静香さん」
「当たり前じゃない。だって、てっきり高校も向こうで行くのかと思ってたんだもん」
「声をかけてくれたから、って言うのもありますけれど元々高校は日本の学校って決めていたんです。あたし。だから、正直嬉しかったです」
「そう言ってくれるとあたしも嬉しいわ!もう、大好きっ!」
静香は、嬉しそうに言う。も久しぶりに会ったからか、笑顔が絶えない。ポンポンと会話が弾む。運転をしている男性は、少し居心地が悪そうだ。
向こうの学校はどうだった。シニアでは、どんな練習をさせて貰っていた。等、の話をメインに会話は尽きることが無かった。男性が控えめに「着きましたけど…」と言われるまで。
車から降りると、静香は腕を広げて「ようこそ!此処が海堂高校野球部厚木寮よ!」と言った。予想を遥かに上回る豪華さに、は一瞬だけ驚いた。だが事前に静香からは話を聞いていたので“開いた口が塞がらない”まではいかなかったのだろう。
案内された場所は、グラウンド場だった。ランニングをする部員達を静香は集めた。
「ちょ!静香さん!練習中なのに、何するんですか?!」
「あらぁ、を紹介するだけじゃない。どうせ向こうで中学を卒業したから帰ってきたんでしょ?今からマネやったっていいじゃない。なんなら、中等部にでも編入する?」
「それは面倒なので遠慮しておきます。ってあたし、国語の勉強…まだ読めない漢字だってあるんですよ」
「そんなの首席で卒業したには朝飯前じゃないの」
「…………んもう!
分かりましたよ!その強引な性格は相変わらずですねっ」
「褒め言葉として受け取っておくわ〜。
と言うことで、マネージャーを紹介するわ。マネって言っても、この子も少しは練習に参加させるから、甘く見たら負けちゃうわよ?」
にっこり、優しいお姉さん。
それが監督としての静香の顔なのだろうか。普段の彼女を知るの背中に、少しだけ悪寒がした。
「じゃあ、着替えておいで」
「着替えって、持ってないですよ」
「大丈夫!あたしが持って来た!」
「……………準備いいですね。もういいですよ」
肩を落としたは、とぼとぼと歩いて更衣室に向かった。
静香が用意した服のサイズは、何時測ったんだと言わんばかりにぴったりと合っていた。セミロングの黒髪を二つに結い、静香から手渡された日焼け止めを念入りに塗る。日焼け止めだけは、静香に感謝だ。
そして、部員を紹介して貰う。来年には一軍に入るメンバーがほぼ全員だった。
「じゃあ、マウンドに立ちなさい」
「って行き成り投球ですか?まだ肩も作ってないのに!ていうか無理ですよあたしには!」
「大丈夫だいじょーぶ。、どうせ日本行きのチケット取ってから運動してないんでしょ。鈍った身体を鍛えるだけだから」
「……………………………ランニングして来ます」
「えーランニングゥー。榎本くーん、付き合ってあげてー?」
「分かりました」
集団から出てきたのは、優男。本当に球児なのかと疑いたくなるような容姿だったからだ。静香からの耳打ちによると、彼はピッチャーと言う事。
は、首を上げて彼を見る。
「(あ…イケ面。いやいやいやいやいや。何考えてるのあたし!!!)」
「さん、よろしくね」
「あ、良かったら名前で呼んで下さい。名字だとなんか恥ずかしいんで」
「そっかアメリカだもんね?」
「はい。名前で呼び合うのが普通だったんで、ちょっと、慣れなくて」
「うん、いいよ。でいい?
あ、じゃあ俺の事も名前で呼んで貰っていい?」
「いいんですか?助かります」
そしてと榎本は並んで走り出した。他の部員達が練習をする中、千草のペースに合わせて走る榎本には少し申し訳ないような気がしたが、同じピッチャーをやっていると言うことも相成って会話が弾んだ。
「え、じゃあ直樹って色んな変化球持ってんの!?」
「うん、まぁね」
「羨ましい!あたしなんてちょっとしか持ってないのに!」
「例えば?」
「えーっとねぇ、秘密」
「何それ」
「だって、ばらしたら面白く無いじゃん!」
「それもそうだね」
運動もしているせいか、頬を紅潮させながらは言う。その小柄な体格の何処にそんな体力があるのか榎本は不思議に思いながら走る。
十五歳の女の子だというのに、ペースを全く乱さないその走り方に関心しながら。
「ーそろそろ柔軟に入りなさーい」
「はーい!分かりましたぁー!
もうそんなに走ってたんだね。ありがと榎本さん!」
「って柔軟は一人じゃ出来ないけど。まぁ俺じゃ駄目なんだろうけどね」
「え?あたしシニアでも男の子と柔軟もやってたよ。ただ、違うのは更衣室とかそういうのだけ。あたしは別に気にしないんだけど」
「…そうなんだ」
「うん、あたしはあんまそういうの気にしないタイプなんだ。きっと今でも幼馴染とはお風呂も入れる」
「(…それば流石に無いと思うけど。うん、黙っておこう)」
柔軟をして、が戻ってきた頃にはサイズの小さいグローブがベンチに置いてあった。近くに居た人に尋ねてみると「監督がお前にと言っていた」と返事が返ってきた。
本当に、準備のいいことで。確かに此処は野球部の専用グラウンドだ。小さなグローブが保管されていても可笑しくは無いとは思いたかった(何故ならそのグローブは新品らしく、硬かったのだ)。少し扱いにくいな、と思いながらもはマウンドに立つ。久しぶりのマウンドだ。この前、マウンドに立ったのは何時だったか。
ただ、マウンドに立っただけでこの高揚感。やはり自分は野球が好きなんだと改めて実感出来る。自然と緩む口元。公式の試合に出られないと分かっていても、止められない野球。
「ー軽くでいいから投げてー」
「はーい、行きまーす」
腕を大きく振り上げて、軸足では無い足を大きく上げる。彼のメジャーリーガーを彷彿させるそのフォーム。は、腕を大きく振りかぶりボールを投げた。
その様子を部員達を同じベンチで見ていた静香は、うんうんと頷いた。あのメジャーリーガーが居なければ、マウンドには立っていないと知っているのだ。
榎本はの投げたボールが予想以上だった事に驚いていた。あの体格だから、そう速い球は投げられないと思っていたのだ。
「どう、榎本くん。あの子の球」
「正直、予想以上です。あの体格から、あそこまで投げられるとは。それにあのフォーム」
「似てると思った?ジョー・ギブソンに」
「はい」
「あの子の野球は、ギブソンから始まったんだもの。当然だわ」
「ギブソンから?」
「えぇ、何年前だったかしら?確か、あの子が小学校に上がる前だったと思うわ。ご両親に連れられて、試合を見に行ったそうよ。そこで、魅せられたんですって」
「始めた頃は、酷い球しか投げれませんでしたけどね」
「あら、もう終わり?」
「これ以上皆さんの練習の邪魔はしたくありませんから。それに、そろそろ帰らないと。夕飯の買出しをしないと料理が出来ないので。今日も夕飯を食いっぱぐれる事」
「…、貴女一人暮らしよね?」
「そりゃあ、両親はまだアメリカですから」
「で、なんで夕飯を食べ損ねるの?」
「ついついうたた寝をぶっこいてしまって」
「厚木寮に来ないなら、ちゃんと一人で生活しなさいって、最低でも炊事はしなさいって言ったわよね?洗濯や掃除までは言わなかったあたしの善意を無駄にするのかしらこの子は〜」
「ごめんなさい。実は迷子になってマンションに帰れた途端力尽きたんです」
「アメリカから帰って、疲れてるのは分かるけど、ご飯くらいちゃんと三食食べなさい!」
「すいません!」
「あたしはご両親から貴女のこと預かっているんだから、お願いだから体調管理くらいしなさい!」
「はい!!!」
「よし!じゃあご飯にしましょうか」
「……………ご迷惑おかけします………」
「あらぁ、迷惑だなんて思ってないわよ。あたしも彼等も。
ねぇ榎本くん?」
「(どうしてそこで直樹なんだ)」
「はい、女の子が一人暮らしって言うのも危険ですし」
「よぉく分かってるんじゃない!榎本くんからも言ってやってよ!此処においでって!」
結局、夕飯をご馳走になっては帰って行った。そして、入学するまで二度と此処では食事はしないと心に決めたのだった(そりゃあ育ち盛り真っ最中の彼等の食事は凄かった。榎本だけは普通に食べていたと言っても過言では無い)。
あとがき
オリジナルって、色々と出来るから楽ですよね!という事で榎本くん好きなんです。寿也の次辺りに。あぁ、でも薬師寺も同じくらい好きなキャラです。
(20080203)