マネージャー、聖書と野生児の教育をする

「なぁ、白石」

 テニスボールが仰山入ったカゴを持ち上げながら、我が四天宝寺中テニス部マネージャー は真面目な表情で俺に言うた。

「なんで金ちゃんは噛み癖があんねん」

 お前部長やろ、後輩の教育はちゃんとせなアカンやろ。何サボってんねん。

やてマネージャーやん。金ちゃんの先輩やん」
「いーや! これは白石が教育せなアカン! ウチかて言いたいけど、言ったらアカンねん。これは、白石が言わなアカン!」

 そう言いながら俺達は部室の前まで歩く。部室に入る時、ドアを押さえてカゴを持ってる真琴を先に通す。
 は何時もの位置にカゴを置いてから、年寄りみたいに腰を伸ばす。お前、まだ中学生やろ。なんでその仕種がやけに似合ってんねん。(まさかお前も青学の手塚や立海の真田みたいに年齢詐称してんねんか)

「あんまよう分かってへんみたいやから、敢えて言うけどな」

 備え付けの椅子に座りながら部誌を広げる真琴の正面に俺も座る。
 俺はこれから新しい練習メニューを考えなアカンけど、真琴の話しを先に聞いた方がえぇと勘で判断する。(明日、俺だけ味のないドリンク出されたらかなわんしな)

「ホラ、」
「何や」
「噛み付く事って、ある意味キスマークと同じやん。――――つまり、相手に自分の所有印付けてんのと一緒やん」
「性教育は俺の仕事や言いたいんか」
「当たり前や。ウチ、乳はついとるけど、穢れたバベルの塔ついてへんもん」
「お前…仮にも女なんやから、つかバベルの塔は穢れてへんわ」
「あ? あからさまにその単語言わへんかっただけマシやろ。で、話戻すけど、白石が金ちゃんに教えたって。毎回噛み付いとったら、あの子逃げるでって」

 の言葉に、俺の脳内にとある映像が流れ始める。ああ、の言う通りかもしれへん。
 そう言えば、金ちゃんは毎回あの子に噛み付いとるな。部活中も、あの子見つけたらスピードスターも真っ青なくらいの速さで駆け寄って……無理やりハグして、この前は腕に噛み付いたな。
 一応、中一とは言っても、テニスやっとる金ちゃんは腕力あるさかい、あの子が本気で抵抗しても自力や逃げれへんな……アカン…そう思ったらその辺りちゃんと教えてやらへんと、何時か金ちゃん犯罪犯すかもしれへん。

「金ちゃんは今時珍しいえらい純粋な子やから、誰かが教えてあげへんとアカンてウチ思うん」
「せやなぁ……金ちゃんの友達や、そないな話はせぇへんのか?」
「白石、あの金ちゃんやで? あの金ちゃんがクラスメイトとエロ雑誌見て巨乳の姉ちゃんにハァハァ言いながら、穢れたバベルの塔おったてる所想像出来るんか? せやったらまだ謙也の方が想像出来るわ」

 謙也がエロ本見て興奮しとるのか、確かにまだ想像しやすいな。仮にも女がバベルの塔おったてるとか言うなや。(もう一度言うけど、バベルの塔は穢れてへんわ!)

「せやから、白い…、「ギャー! 遠山くん痛い! 痛いから止めてって! お願い!!」……大至急、野生児を捕獲し説教や。……白石の後にウチも説教やったるわ」
「あんの野生児……」

 部室まで届くあの子の悲鳴に、と俺は揃って溜め息を吐いた。

「金ちゃんにアンタと同じ性生活を求めたらアカンよ。あの子はまだまだ子供なんやから」
「お前…俺がプレイボーイみたいな事言うなや」
「プレイボーイって…古ッ! 何時の時代や!」

「ちょ! マジで止めてって! 痛い! 痛いって!」

「「…………」」
「ちょ、白石」
「行くで
「部室出るまでにその鬼の形相はやめてな。チョー怖いわ」

 席を立つ俺に、部誌を閉じて机の上に置いたも同じように席を立った。ドアを開けると、コートの向こうにあの子と金ちゃんがじゃれあっとるように見えた。遠目から見たらじゃれあっとるように見えるんやけど、あの子の声が声さかいそれがちゃうと分かる。
 よくよく見ると、金ちゃんがあの子の首筋に齧り付いとるのが分かった。「白石、」の低い声色。これはかなりイラついとる証拠や。せやな、俺もや。幾ら好きな子やから言うて、噛み付いたらアカンよな……うん。俺も噛み付くのはあんませんとこ。

「蔵リン!」「白石!」
「金太郎さんを止めて! アタシ達じゃ止めれないの!!」

 近くまで来てた小春を拾て、俺とは急ぎ足で金ちゃんの所へと向かう。その周囲にはなんとかして金ちゃんをあの子から放そうとするメンバーが居た。せやけど、金ちゃん…見た目と違て怪力やねんから、中々離れんみたいやった。

「離しや金ちゃん!」
「嫌や!」
「せやから離れぇって!」
「いーやーや!」

「金ちゃん!」
「! 先輩!」
「金ちゃん、痛そうやけん離したって! 彼女、何処も逃げんさかい! なっ!?」
「姉ちゃんが言うても嫌や! ワイは離れとうない!」

 せやかて、噛み付くのはやっぱアカンやろ。しゃーないなァ。「金ちゃん」俺はを押しやって金ちゃんの前に出る。

「金ちゃん、彼女の迷惑や言うてるやろ。はよ離れたり、離れんかったら……分かっとるよな?」

 俺は金ちゃんに向けて左腕の包帯を見せる。何時ものように包帯を解こうとすると、金ちゃんが盛大に首を横に振りよった。なんや、金ちゃんも興奮しとるから、毒手が効かへんのんか。
 そして、金ちゃんの好きなあの子は、未だ金ちゃんに抱きしめられたまま涙目になって俺とを見ている。

せんぱい……助けてください」
「ちょっと待ってぇな。直ぐ金ちゃん離したるから」

 下手したらあの子の骨がミシミシ言うんとちゃうんか。少し不安になる。

「いーやーや! ワイ、離れとうない言うてるやろ」
「せやけど金ちゃん、彼女、ちゃんと見てみ」
「……顔、真っ赤やな。あ、ちょっと泣いとる」

 あの子の目尻に浮かんだ涙に気付いた金ちゃんは、そのまま背伸びをしてペロリ。舐めた。それであの子は益々顔を真っ赤にさせる。りんごみたいや。

「とおやま、くんっ」
「なにー」
「お願いやから、離れてくれへんかな。アタシ、何処も行かへんから」

「ホンマ?」
「うん」
「せやったら、手。つなごや」

 抱きつくよりかはマシやな。と目配せをして、俺は落ち着いた金ちゃんの頭上に拳骨を一つ入れる。何時もより、力入れて。
 ゴチ! と音が鳴って、金ちゃんが「あだ!」と悲鳴を上げる。アカン、俺も痛い。金ちゃん、自分どんだけ頭固いねん。

「何すんねん白石!」
「そら鉄拳制裁に決まってるやろ。ええか、金ちゃん、人前で抱きついて噛み付いたらアカン」
「なんでや」

「金ちゃんはそれでえぇかもしれへんけど、される方も考えたってや。ごっつ恥ずかしいやろ」
「ワイは恥ずかしくないでー」
「それは金ちゃんは、やろ? 女子は皆恥ずかしがり屋やから、ちゃんと気持ち考えてやり」

 俺はそこまで言って、一旦あの子に身体を向ける。あの子はきょとんとした表情で俺を見上げた。大人しそうな女の子や。野生児の金ちゃんは、こんな子が好みなんねな。って、考えが脱線しよる。

「ごめんな。ウチの部員が迷惑かけて。ちゃんと言い聞かすさかい、許したってくれへん?」
「………………先輩にも言われてます。アタシは大丈夫です。せやけど、やっぱ人前で抱きつかれるのは恥ずかしいんで、それだけは止めてくれはるよう、言うてくれます?」
「これから、と教育するさかい心配せぇへんでええよ」

 あの子は俺がそう言うと、金ちゃんに何か小さく言った。それを聞いた金ちゃんはなんか渋るような表情を見せたが、あの子がもう一度何か言うと、分かったと言うて握っていた手を離した。

「ほんなら、アタシはこれで失礼します」
「約束、忘れんといてな!」
「おん、分かっとる。先輩、また」
「ん、またね」

 そう言って、軽くお辞儀をしてあの子は校舎に向かって行った。
 俺はそれから他の部員には自主錬を言い渡し、と金ちゃんと部室に戻ろうとする。当初の予定では、俺、の順番でする予定の説教やけどなんかこれじゃ一緒にしそうやわ。せやけど、金ちゃんやさかい二人がかりでも足らへんやろな。

「それじゃあ、蔵リン。アタシ達は練習してるから、金太郎さんよろしくね」
「任しとき」
「えー、説教いややー」
「アカンで、金ちゃん。今回ばかりは見逃せへんよ。白石、行くで」

 金ちゃんの手を引いて、は部室に入る。俺もその後に続いて入る。
 椅子に金ちゃんを座らして、その正面に俺、隣にが座る。それから、俺は金ちゃんになんであの子に噛み付くのか、訳を聞いた。訳も聞かんで叱るのはアカンかやな。

「歯型残したら、ワイのもんやってしょーこになるやろ」

 野生の勘で噛み付くっちゅー事がそういう事やわかっとるみたいやった。何処までコイツは野生児やねん!

「金ちゃん…それマジで言うとる?」
「何言ってんの? 当たり前やろー」

 きょとんと可愛らしく言う金ちゃんに、は盛大に溜め息を吐いた。

「ウチ、こんな子初めてや」
「安心しぃ、俺もや」
「なんや白石に姉ちゃん。何二人して溜め息吐いてんねん。しゃーわせ逃げるで?」
「「原因はお前や」」

 これは何を言うたらええんやろか。もうこの子は本能の赴くままに生きていくしかないんやろか。俺はちょっとだけそう思うてしまった。だって金ちゃんやもん! きっとこの子なら野生の本能の赴くままでも上手いこと生きてける!

「白石、アンタ今、何考えた?」
「――――なんも、」

「えぇ、金ちゃん。さっきも白石言うたけどな、女の子って皆恥ずかしがり屋さんやねん。やけん、女の子が嫌や・恥ずかしい思う事は人前でしたらアカンねん」
「女子は皆ツンデレや思うんや金ちゃん」
「ツンデレってなんやー食いモン?」
みたいな女子の事や。やて、皆の前ではかっこええけど、俺と二人きりの時はかわええんやで」
「ちょ、アンタ何ウチとアンタが付き合うてるみたいな事抜かすん!?」

 ホンマの事やけど。俺とが彼氏彼女の関係か言うたらそりゃ、多分違うんやけど。
 幼馴染やから、俺は他の皆が知らんの表情を知っとるつもりや。家も近所やから、勿論家族ぐるみの付き合いやし、お互い、異性としてはお互いが一番身近な異性なんやないかと俺は思うてる。
 せやから、俺はがざっくりした性格に反して、実は女の子っぽい所や結構意地っ張りな所、よう知っとる。

「ええ! ウチとアンタは幼馴染の腐れ縁!」

 ま、今はその幼馴染の腐れ縁でええけど。

「ていうか、なんでウチがツンデレやねん!」
「ツッコミが遅いわ!」
「そんなん関係あらへん! って話が脱線する所やった!」
「せやな、で、金ちゃん」

 一呼吸置いて、俺は言うた。

「焦らんと、じっくりあの子のペースに付き合ったってな」
「ていうか、その言動は既に二人が付き合うてる事前提になっとるんやけど、実際は違うんやろ? あの子、そないな事一言に言うてへんし」
「え、そやったん?」
「ワイ、ひとっこともそないな事言うてへんで」
「な?」
「何勘違いしてんねん」

 それから、頭のてっぺんから煙が出るんとちゃう? と思うくらい真剣に何か考え事をした金ちゃんは何時もの天真爛漫な笑顔を俺達に向けて「わかった!」て言うて勢いよく部室を出て行った。
 それから、俺がに叱られたのは言うまでもない。

「で、もっぺん聞くけど、誰がツンデレ?」

脱稿:20100623